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西荻名物、柳小路。どこか昭和の懐かしさと、各国料理が集まる不思議なカオスが感が漂います。この界隈の大人気店の一つが、酒とタイ料理のお店「ハンサム食堂」。ひとたび扉を開ければ、アジア独特の熱気とゆるい心地よさに包まれます。3人の共同経営者のお一人、三品啓介さんにお話を聞きました。

 

「ゆるくて変な」お店が、「ちゃんと実力を付けなければ」と。

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——お店の成り立ちを教えてください。

2001年にオープンしました。吉祥寺にあるアジア料理店のスタッフ4人が、同じタイミングで抜けることになり、どうしようか、と井の頭公園に集まりまして。自分たちの持ちカードのなかで、お客さんが一番喜んでくれることは何だろうと考えて、タイ料理屋を始めることに。最初は台湾料理のメニューもあったり、2年くらいは模索して、だんだんタイ料理に特化していった感じです。

 

——なぜ西荻で?

なりゆきですね。吉祥寺周辺の中央線沿線で物件を探していて、予算の関係などもあって、ちょうどいいかな、とここに着地しました。当時、この辺は空き物件ばっかりで、真っ暗な通りでした。地元のお客さんに後で聞いたら、子どもの頃は近づいてはいけない通りだったと(笑)。暗くて、怪しげな人がうろうろしている感じでした。

 

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——ここでお店をやることについては?

ご近所さんからは、若い変なのが入ってきたな、と思われていたと思います。何店舗か可愛がってくれる先輩ママさんたちがいて、少しずつ馴染んでいきました。そのママさんたちも、ほとんどはもう引退されましたが。

この界隈は、その頃から少しずつ変わってきて、あるとき急にバーと進んだな、という印象です。5、6年前かな、気がついたら全部物件が埋まっていました。狭いので始めるには手頃なんですが、狭いからこそ商売として軌道に乗せるのは難しい。構造も独特で、階段の上り降りが大変。スタッフはちょっと大変そうです。

うちは、すごく狭くて変な店だったから、すぐ話題にはなったんですが、入れるお客さんの数が限られていて商売としてやっていけない。それから物件を少しずつ増やして、今は4物件借りています。

 

——ハンサム食堂は、どういう風に変なお店だったんですか?

4人の男がいて、注文が入ってから、食材の買い物に行ったり。タイの屋台では良く見かける風景なんですが、素人が集まったようなとてもゆるい感じで。お客さんにはアジアっぽい雰囲気に映ったかもしれません。よくもまあ、あんなんでお店を始めたなと(笑)。若気の至りなんですが、最初は分かる人にだけ分かればいいという感じでやっていたんです。

でも、やっていくうちに、来てくれた人皆にちゃんと伝わらないとダメだ、どんな人にも楽しかったねと言われないと長く続かない、と思うようになって。実力をつけなければと。それからは、年に1、2回はタイに行って、食べ歩きをし、それを頑張って続けてきました。タイの最新の味を食べて、どうやったら東京や西荻の人に刺さるかなと考えています。

 

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タイの魅力を、どう翻訳するか?

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——タイの魅力とは?

行った時の力の抜け方がすごく心地いいんです。1週間から10日の旅がやっとなんですけど、2、3日経って馴染んでくると、体が軽くなる。タイの良さをどうしたら持って帰って来られるか、と前は必死に考えていたんです。でも、それはちょっと無理があるな、と最近は強く思っています。

東京のこんな変な駅前の場所にあるのが、うちのウリの一つ。ここで、ぼくらが感じるタイの良さ、ゆるむ感じを最大限に伝えるには、どういう翻訳をしたらいいかと思うようになりました。まだ模索中なんですが、手を変え品を変え、これならどうだ、これならどうだ、と投げ続けている状態です。

 

——タイ料理の魅力は?

日本ではやらないような調理法、生のハーブをうまく使った「なんだこれは」という驚きがある味ですね。現地で食べたままを再現しようとはしていますが、食材の関係で、完全に現地と一緒というのは無理で。作っている側も日本人ですし、結果的に日本の人に食べやすい味に着地していると思います。

 

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(写真:共同経営者の一人、櫻井健一さん。「雑なように見えて、結構手間がかかっているのがタイ料理。タイ料理に携わって20年以上だが、まだまだ勉強中」とのこと)

 

 

西荻昼市、夜の街を家族連れでも来られるように

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———西荻昼一はハンサム食堂が始めたんですか?

共同経営者のひとり、伊藤の肝入りです。店を始めた早い段階で子どもが生まれて。どうしても夜のイメージが強い通りだったので、子ども連れ、家族連れでも来られる雰囲気になんとかならないものだろうかと。昼市はご近所に声掛けして、月に1回、2003年頃から15年くらいになりますね。閉店後に、自分たちで毎月チラシを5〜6千枚作って配っていました。

リピーターの方も多いです。昔からのお客さんが親になって、ベビーカー連れで来てくださったり。今年1回目の昼市は、試験的にうちの店は全席禁煙にしたんです。愛煙家の方からも、こっちのほうがいいね、という声がありました。

 

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(写真:共同経営者の一人、伊藤貴史さん。自ら手作りした屋台と一緒に)

 

——ほかに、西荻のまちとの関わりは?

西荻ラバーズフェスに、去年参加しました。最初から熱心に声がけしてくれていたんですが、昼市と日にちが重なるし、お断りしていたんです。でも、運営者の1、2回目の頑張り方を見て、これは「自分たちも何かしなきゃいけないだろう」と思って、3回目に参加しました。スタッフを昼市と半々に分けて。

「俺ら、自分のお店やここの通りのことだけ考えているけど、まち全体のことなんか考えている同年代とか若い人もいるんだな、偉いな」と。「そういう風に皆をうまいこと巻き込んでやれるんだな、もっとそういうことも考えていかなきゃ、俺らももうおじさんだし」と思いましたね(笑)。

 

一度始めたお店には、頑張って続けてほしい。

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——これまで、大変だったことや苦労は?

基本的には楽しい、楽しいとやってきたんですが、最初は食えなかったので大変でしたね。あと、最近はお酒を飲む方が少なくなりました。お酒よりも食事を楽しみにという方が多い。お酒が伸びないのは売上が伸びないということ。そういう中で、今後、飲食店はどういうスタンスでやっていくのがいいだろうと考えています。

従業員の給料も上げていかないといけない、従業員たちが続けていける夢のある職業としてキープして、経営者としてお店をハンドリングしていくのは、これからもっと大変になるのではと。続けていくのは本当に大変なことだなあと思います。いままで通りやっていたのでは続かない、次はどうしようかと常に思っています。

 

——やっていて楽しい、やりがいを感じるのは?

月並みですが、お客さんが楽しかった、美味しかったと言って帰ってくれる時ですね。明日も頑張るか、という気持ちになる。そこに尽きます。お客さんが言葉で言ってくれたり、顔を見て楽しかったんだな、と分かると良かったなと思います。

 

——今後の西荻については?

西荻は、いますごく変わりつつあると思います。新しいお店が増えて、閉店するお店も多い。新陳代謝が良いのかもしれないですが、始めたお店には、頑張って5年、10年は続けてほしい。入れ替わりが激しすぎると、街のちょうどいい感がくすんでいくなと思うんです。街の核となるようないい湯加減はキープしつつ、良い感じに変わっていくといいなと思います。

自分たちも20年近くお店をやっていると、中堅どころになってきた感じはします。ずるずると始めた口なので、偉そうなことはあまり言えないんですが(笑)。続けてきてよかったなと思います。

 

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(写真:カウンター席では、250円からのメニューも。いろいろなタイ料理を楽しんでもらうための工夫。女性の一人客も増えているそう)

 

編集後記

とてもカジュアルで賑やかで、楽しいお店ですが、その実情は、とっても真面目で真摯なお店、ということがよく分かりました。また、店主やスタッフの方々のチームワークの良さを感じました! 創業メンバーのお一人は若くして亡くなったそうなのですが、その息子さんがいま一緒に働いているとのこと。「このメンバーだからこそ、ここまで続けられたと思う」という三品さんのお言葉が印象的でした。

 

西荻日和 chisa